栗飯祭り
開催予定日 | 9月15日 |
---|---|
例年開催日 | 例年9月15日 |
地区 | 中区 |
開催地 | 三社神社(中区鹿谷町) |
主催者 | 調査中 |
文化財区分 | 未指定 |
カテゴリー | その他伝統 |
開催状況 | 開催されます |
9月15日の午後8時から鹿谷町にある三社神社では、粟飯まつりが行われます。昔は粟を使っていましたが、今では粟を作っている所がないため赤飯で代用しています。神事は20分くらいで終わり、祭りに集まった人たちに供えられた赤飯が振る舞われます。粟飯まつりの由来は次のように伝えられています。
南北朝時代の初めごろ一艘の船が、白羽の浜へ漂着しました。船には、宗良の皇子という方が乗っていらっしゃいました。ようやく岸に上がった皇子は、現在の高町を北へ下りた辺りまでおいでになりました。すると、秋の日は暮れ方近く、疲れと飢えのために、一歩もお進みになれませんでした。これを見た里の人々は、粟を集め、皇子に差し上げることにしました。里の人々が心を込めた粟飯は、のどが焼けるほど熱く、皇子は、息を吐きかけ吐きかけ召し上がりました。
「都でも、こんなおいしいものは食べたことがない」
と、皇子はおっしゃって、何回もお代わりをなさったそうです。後に、その日が9月15日の祭礼の日であったので、それ以来、神前に粟飯を供え、粟飯まつりが行われるようになりました。
当日は、無病息災を祈って、神社に供えられた赤飯を分けてもらう参詣人でにぎわいます。
(参考文献:浜松市広報課(1999):『はままつ歳時記 広報はままつ特集号』:浜松市)
南北朝時代の初めごろ一艘の船が、白羽の浜へ漂着しました。船には、宗良の皇子という方が乗っていらっしゃいました。ようやく岸に上がった皇子は、現在の高町を北へ下りた辺りまでおいでになりました。すると、秋の日は暮れ方近く、疲れと飢えのために、一歩もお進みになれませんでした。これを見た里の人々は、粟を集め、皇子に差し上げることにしました。里の人々が心を込めた粟飯は、のどが焼けるほど熱く、皇子は、息を吐きかけ吐きかけ召し上がりました。
「都でも、こんなおいしいものは食べたことがない」
と、皇子はおっしゃって、何回もお代わりをなさったそうです。後に、その日が9月15日の祭礼の日であったので、それ以来、神前に粟飯を供え、粟飯まつりが行われるようになりました。
当日は、無病息災を祈って、神社に供えられた赤飯を分けてもらう参詣人でにぎわいます。
(参考文献:浜松市広報課(1999):『はままつ歳時記 広報はままつ特集号』:浜松市)
- 地区が同じ
- カテゴリが同じ
- 日付が近い
栗飯祭りに関連した祭り